エリック・ホーレンベックさんは、タイムトラベラーや博物館のキュレーター、問題を抱えた若者や社会復帰した退役軍人を世話するお手本になるつもりはありませんでした。しかし、自身が経営するユーリカを拠点とした会社ブルーオックス・ミルワークスの広い工房で、彼が静かに、また謙虚に何かを作り出す姿から、誰もがそこは木材を切るだけの場所よりもはるかにすばらしい場所だと分かることでしょう。
工房のツアーでは、職人が年代物の道具を使って複雑な木のデコレーション、モールディング、装飾物を作っているところを見ることができます。ほとんどの部品は、伝統的なビクトリア様式の建造物の一部を、注文を受けて修復・復元するためのものです。州知事邸や、サクラメントのダウンタウンで工房近くにあるリーランドスタンフォード・マンションのような豪華な公共の建物、また個人の住宅などの仕事を請け負っています。
「すばらしいのは、同じ建築部品をただ作るだけでなく、当時使用されていた同じ設備を使って作っていることです」と伐採や製材工場の長い歴史を持つ沿岸都市、ユーリカで育ったホーレンベックさんは語ります。「ここには、アメリカに現存する人力設備の最大のコレクションがあります。1868年に製造された糸のこぎりから、1902年に製造さられたマイターソーまで、それらは今なお使われています」。
ホーレンベックさんは、博物館ができるほど機械を収集しようとしたわけではなく、ただ新しいものを買う資金を持ち合わせていなかっただけでした。ベトナムから帰還して軍を退役したホーレンベックさんは、銀行から300ドルの融資を受け、1973年に事業を始めました。「伐採事業を立ち上げ、森林局の依頼で枯れた木や病気の木を製材しました」と当時を振り返ります。その後ホーレンベックさんは、この地域の数あるビクトリア様式の建造物向けに、特別注文の建築部品という需要を見出し、ブルーオックス・ミルワークス(有名な伝説の木こりポール・バニヤンの仲間にちなんで命名)を設立しました。しかし300ドルの融資しか受けていなかったので、「外に出かけては、誰も欲しがらないような中古品を探すしかありませんでした。新品どころか、新しげな物を買う時間やお金もありませんでした」とホーレンベックさんは笑います。
まだ会社にインターネットが無い時代、社の販売カタログが必要でしたが、他に制作を依頼するとお金がかかるので、ホーレンベックさんは世紀の変わり目頃の印刷機を使って、自らカタログを作りました。一部の顧客は年代物のタイルを希望していたため、新たに陶芸工房を併設し、またビクトリア時代の細部向けに石膏工房も併設しました。
今日では、ツアーに参加して伝統工芸の製造過程を見ることができます。工房を回ると、他にも目立つものが目に入ります。若い職人たちが木工具を扱い、特別注文の部品を制作しているところです。ブルーオックス・ミルワークスは、通常の業務に加え、危険にさらされている青少年(貧困、虐待、少数者に対する差別などから)の学校としての役割も果たしており、青少年は自ら作品を制作し、作品は工房にあるお店で販売されます。「自ら制作したもので、お金を得ることができるのです」。こうしてホーレンベックさんは、地域社会に利益を還元しようとしています。実は最近ホーレンベックさんは、退役軍人の社会帰還を支援するために、非営利団体を設立しました。また、ブルーオックス・ミルワークスを1ヘクタール前後の工芸村にまで拡大する計画も立てています。
この退役軍人たちはすでに、エイブラハム・リンカーン大統領の棺を運んだ、葬儀用の馬車の精巧なレプリカなど、注目すべき作品を生み出しています。ホーレンベックさんは「リンカーンは退役軍人の面倒を見る必要があることに言及した、初めての大統領でした」と話し、また退役軍人により制作された葬儀用の馬車は、今後のすべての大統領の葬送で使用されることになっている、と加えました。「ちっぽけな街ユーリカで、退役軍人たちが作ったものをですよ」と、信じられないといった様子でホーレンベックさん言います。「大したものじゃないですか?」